街録CH南部虎弾の放送回を見て


素顔公開!電撃ネットワーク南部/大物監督Yの逆鱗に触れダチョウ倶楽部クビ…/女優Eに裏切られ… - YouTube

かつてデヴュー当時の電撃ネットワークがゴールデンタイムに出た際、司会はビートたけしであった。そのたけしが、南部のことをさん付けで呼んだのだ。これは当時のサブカルチャー誌でちょっとした話題になった。

 

南部氏というのはどれほどの人物なのだろう。今回答え合わせのつもりで街録を見た。もともと芸人を目指していたわけではなく俳優になりたかったようだ。

しかし、芽はなかなか出るわけもなく劇団を渡り歩くことになる。それも本人の非常識さから実質クビに近い形でだ。そして流れ着いた劇団で今のダチョウ倶楽部のメンバー達と出会うことになる。

 

結成当時は、4人で南部氏がリーダーという形になった。ここでも南部氏のパーソナリティが災いして、ある時に南部以外のメンバー3人がテレビに出演しているのを視聴者として見ることになる。ここでもクビとなったのだ。

 

ダチョウ倶楽部は芸風としてではなく素で、突っ込み型がいない稀有なグループだと言われているが誕生時からそうだったということが分かる。

 

ダチョウ倶楽部時に「ひょうきん予備校」の生徒役として出演していた。南部氏によるとその番組はダウンタウンを売り出すための番組だったようだが、それは意外であった。というのはダウンタウンは事務所のバックアップ無しで実力一本でのし上がってきたという印象を持っていたからだ。

番組では講師役として大御所のゲストを招く。南部の非礼ぶりはここでも発揮されるがタモリには許された。しかし山本晋也監督には通じなかった。

 

そうなのだ山本監督は日大の応援団出身であるし、昔のポルノ映画界といえばヤクザ顔負けの荒々しい世界だ。そこで監督を務めるのだからその器が知れよう。

後年山本監督はトゥナイトという深夜番組でレポーターとして歌舞伎町などの風俗店を巡るのだが、そのような地域では本来裏社会のシマ割がありテレビの撮影どころではない土地柄なのだ。しかし、それが許されたのも山本監督の顔が利いていたからのである。

 

ダチョウ倶楽部も追放された南部氏はバイト先で電撃ネットワークの今のメンバー達と出会うことになる。

インタヴュー中で南部氏はお笑い界の潮流を分析している。

電撃ネットワークの人気も狙いすましたかのようなフィクサーめいたことも発言していた。しかし、南部氏はそのような気質はないと思う。相撲界の用語で出世するには「運鈍根ー運、鈍感、根性」が必要と言われているがその類ではないだろうか。

 

仮に自認するような切れ者の戦略家であれば、YOUTUBEの波に乗れていたはずだ。なぜならば、それ以前にデーブスペクターの手引きで海外のテレビ番組で人気がでており十分その下地はあったのだから。同じような芸風のジャッカスYOUTUBEでバズり世界的に認知されていることを考えてもその差は歴然だろう。