偽の腕でワクチン接種を逃れようとした男

 



Italian man tries to dodge Covid jab using fake arm - BBC News

イタリアの男性が偽の腕でワクチンの接種を乗り切ろうとしたが、看護師に見抜かれる事となった。

腕の質感で気づいかれたようで、その男はお目溢しを求めるがあえなく警察を呼ばれる羽目になった。

 

男がなぜそこまでしたのかは、職業に関係がある。ヘルスワーカーで接種が義務化されているのだ。男は当然仕事を干され休職中の身であった。

 

こうやって子供だましとも言える方法使ったのは今回だけではないとも考えられている。なぜならば男のものと思われるSNSのアカウントで次のようなコスプレまがいの商品が取り上げられていたからだ。

 

 

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介護職員の実態


高齢者施設介護士の男逮捕 入所者口座から850万円引き出したか - YouTube

 

コロナ禍では、いわゆるエッセンシャルワーカーがもてはやされた。

通常下でも、そういった仕事に対して世間(ホワイトカラー)というのはなにがしか奥歯にものが挟まったかのような口ぶりで持ち上げる傾向がある。

 

その背後にあるのは原罪意識とも言えるのではないであろうか。自分たちがオフィスで一見華やかな環境で働いているのに、彼ら彼女らの現場仕事は決して高くもない給料で汗まみれになって働いていると。

 

そして、いつしか人間性まで賛美する。生真面目、無垢なる者として仰ぎ見てしまう事すらある。

 

しかし、それこそ職業差別の裏返しなのだ。

両方の世界を垣間見た自分としては、全くの幻想といってよいだろう。

 

特に介護業界はその傾向が顕著だ。

子供の時から、あるいは身内の不幸があって介護に関心を持ってというのが世間的な期待像であろう。

というのは人間誰もが最終的には人の手を借りて生きざるを得ないという時が来るのだから。

 

しかしながら、本当の意味で使命感を持っているのは数パーセントのマイノリティーだろう。

自分が見た範囲でのマジョリティー像はこうだ。年齢的、経歴的、世間が求める能力的にも働き場がなく、かといってビルメンテンスのような仕事を就くにはプライドが許さない。

取り敢えず、世間体がましな介護業界に入ってきたという感じなのだ。実は昔から興味があったとも自分自身もごまかせるし、だ。

 

個人的な経験では離婚した女性や、結婚願望は抱いてはいるが縁がない女性が多かった。

彼女たちに共通するのは強烈な劣等感であった。言うまでもなくそれは優越感の裏返しでもある。

それゆえ、この種の人間達が絶対的弱者を相手とする介護という職業を選んだのは当然の成り行きともいえよう。

だから職場内でのイジメが耐えない。餌食になりやすいのは不慣れな新人、特にこの業界に対して志を抱えた生真面目を信条としているような人達である。

何らかの言いがかりをつけて人民裁判的なことをやり吊るし上げる。そのお祭りが退屈な日常や退屈な自分の内面を埋め合わせる唯一の慰みになってしまうのだ。

いじめられた側はしばらく耐えるも、辞める。そして、いじめた側は次の生贄を切望する。

 

こういった業界の内実を知っている自分からすれば介護職員が利用者の金銭に手を付けたや、訪問介護者が認知症の老人を籠絡して自分が相続人になる等、また暴力沙汰などのニュースを聞いても何ら不思議には感じないのだ。

 

 

 

 

 

 

映画キャッシュトラックをおすすめ

 

 

つい最近公開されたばかりだったので何かの間違いと思いきやアマゾンプライム無料で観ることが出来た。

監督はガイ・リッチー、主演はジェイソン・ステイサム。ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズの名コンビだ。

 

 

そもそもジェイソン・ステイサムが世に出るきっかけが、その映画と言ってよい。

20年以上も前の映画になるが、話の構成が斬新だった。というより当時の流行でもあったのだろう。タランティーノ風というのでもあろうか、登場人物毎に時間軸をずらして語られ収斂させていくといった展開話法だ。

 

当時ロック、ストックは寵児であったタランティーノの亜流と言われることもなく確固たる評価を得て自分もその作品が好きであった。

今回紹介されるキャッシュトラックも監督の編集技術は冴えておりそれだけでも楽しめるだろう。

タイトルのキャットラックから想像されるように現金輸送車が話の中心ではある。おそらくステイサムのヒット映画トランスポータの客を取り込みたかっため、そのタイトルをつけたのではないか。

 

原題はwrath of the man、 wrathというのは訳せば怒りよりもっと過激な憤りといった感情を意味する。そしてthe manは役どころでは父親となる。

父親がそこまで断腸の思いに駆られるのは何に対してなのかそれは映画を観てもらうほかない。

 

かくいう自分は、この映画に先立ってステイサムも出演しているエクスペンダブルズを観たばかりだった。このような言い方も野暮だが話の薄さに食い足りなさを感じていた。なぜならば往年のアクション俳優が勢揃いしたことに意味があるのだから。

 

 

今回のキャッシュトラックはエクスペンダブルズの欲求不満を十分に解消してくれた。

主人公のみならず敵役がエクスのようにただ単に無慈悲に殺さられるのではなく、丁寧に人間が描かれていたからであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

匂いを撮る写真家


How I Managed to Shoot the Yakuza | Bad Blood - YouTube

 

レンズを通して対象の匂いを撮りたい。

となるとどうしてもカメラを向けるのは、いわゆるアウトローと呼ばれる物達だ。

 

怖さを克服したのは、自身も韓国で刺された経験があるからだ。

それでも、日本での学生時代に街を歩くヤクザの一団に写真を撮らせてもらえるよう声をかける際には躊躇したという。

 

現在はホストも被写体にしている。曰く歌舞伎町は男が金を使う所ではなく、女に金を使わせる所であるとか。

ホストに店の一番高い酒を聞くと、6080万の答えが返ってくる。そして元値は400万というのだから。

エル・チャポ狩りの巻き添えとなったケシ畑村の住民たち

刑務所を脱獄したエル・チャポはかつての支配地域に逃げ込んだ。

政府、海軍は威信をかけて潜伏先と思われる村々を襲撃した。

結果的には、エル・チャポは拘束されたが損害を受けた村人は政府に損害賠償を求める意向だ。

なぜならば、自分たちはエル・チャポやその仲間にも会ったこともないからだ。それはエル・チャポを匿うため村人たちは武装したという政府発表と矛盾する。

メキシコ政府発表を到底鵜呑みにすることは出来ないが、村人の発表にも疑義が呈される。

この辺一帯ではケシや大麻が耕される畑が広がっておりカルテルのメンバーとの接触が無かったなど考えられないからだ。

そして、更に疑惑を深めるのは村人の訴訟代理人自体がエル・チャポと繋がりを持つ弁護士という事実だ。これを偶然というのも難しいだろう。

 


蜂の巣にされた山村 エル・チャポ狩りの犠牲者たち - YouTube

ザ・ノンフィクション 2019年9月22日(日)放送 半グレをつくった男 ~償いの日々…そして結婚~ - フジテレビ


ザ・ノンフィクション 2019年9月22日(日)放送 半グレをつくった男 ~償いの日々…そして結婚~ - フジテレビ

あの凶悪で鳴らす関東連合と向こうを張ったのが残留孤児のルーツを持つ「怒羅権」だ。

その創始者の更正の道のりが番組で取り上げられた。

 

当人の風貌や語り口を見て誰も過去の素行を想像できないはずだ。出自は中国の上流家庭というのが紹介されていたがそちらのほうが頷けるものだ。

 

芸能人などで自分を大きく見せたい人間は、不良上がりであることを吹かし饒舌に誇張した過去の悪行を話すものであるが、汪楠にはそのような軽さは感じられず。自分の過去の懺悔を控えめにそして後悔を交えつつ語る。それが逆に真実性を高めるのだ。

例えば自分の財布を盗んだ暴力団組員のイザコザから相手の腕を切り落として、怒りがエスカレートして首を切り落とそうとしたが硬くて無理だったという。それをインテリ風の男が話しているのだから、いかにして更生したのか俄然興味をもった。

 

汪楠の更生のきっかけは裁判官が、自分の愛読書の「阿Q正伝」を取り上げ自分にシンパシーを寄せてくれたことだという。それから彼は服役中に3000冊もの本を読み込んだ。確かにそれだけ本を読んだだけあってインタヴュアーより語彙力も高く語り口も知的だ。14歳に来日したというから脳科学的には母国語レベルの言語能力を身につけるのは難しいのであるから、読書の力というのは本当に大きなものなのだろう。

 

刑務所は、学校に例えられる。それは2つの意味があると思う。ホリエモンが言っていたが覚せい剤で捕まった人間は、刑務所の中で売人の情報交換をしているようだ。はからずも犯罪者のサロンと化し、また少年院などではどこどこを出たことで箔がつくエリート意識すら生まれさえしている。

一方で読書をするにはこれほど良い環境はないものだ。規則正しく読書ぐらいしか娯楽がない中で物理的な自由がない中で想像力を壁を超えて自由に羽ばたかせる、一蘭というラメーン屋の味集中ブースかのようだ。

 

汪楠は出所したばかりの行く当てのない人間の世話もしているのだが、その善意が仇となってトラブルとなる。彼は囚人に本を貸し出すボランテイア活動をしているのだが自転車操業で、それを見かねた婚約者が活動団体に寄付してくれた。しかし、引き受けた人間がそのお金を持ち逃げしてしまうのだ。

その男は見つかり汪楠がそれを歯を食いしばりながら赦す場面が、今回の番組のクライマックスとなりかつて凶暴だった人間の更生を示唆するものであった。それを否定するつもりはない。

 

しかし、違った見方もしてしまう。よく不幸、不運が続いた人の話を聞くと同情を寄せながらも、傍目八目もしれないが避けられたこともあるのではと感じることがある。また、どこかで人間というのはその境遇に酔いしれ不幸を避けるということを辞めて、引き寄せることすらしまうのではないかと勘ぐることもある

今回の汪楠にも同様のことを感じてしまうのだ。かつて自分の財布を盗まれ相手の腕を切り落とし、そして今回もお金を盗まれ怒りにうち震える。前回の事に関しての詳細はわからないが、今回はなぜそんな無防備なことをするのかと感じた。信用と言えば聞こえはいいが出所したばかりの人間の部屋に大金を置いておく、それは脱水症状の人間の前にペットボトルを見せつけるかのようなものではないのか。

ただこのようなトラブルがなかったら番組として「面白み」に欠けていたかもしれない。退屈さを倦んだ時、人間というのはトラブルを引き寄せてしまうものだと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凶悪犯罪者と我々の境界線


三菱銀行事件 1/2 - YouTube

 

未成年の犯罪が起こり少年法が俎上にのぼるとよく引き合いに出されるのが、三菱銀行人質事件の梅川昭美だ。

 

宮崎学がいっていたが劇場型犯罪の元祖ともいえる。事件の概要は、白昼に猟銃を持って銀行員を人質にとり立てこもり数日間警察とにらみ合い最終的には射殺された。

 

劇場型といわれるゆえんは犯人はブルースブラザ-ズのような帽子とダークスーツで身を包んでいたことにある。そして人質をもて遊び対峙する警察をからかい続けた。例えば女子行員を裸にさせて狙撃対策の肉の盾とし、男子行員の部下に上司の耳をそぎおとすよう命じるなど理解しがたいことをしていた。何か小説めいているようだが梅川自身、大藪春彦等のハードボイルド小説を愛読書としていたようだ。

当時テレビで生中継されていたらしいが、それをさらにセンセーショナルにした要素がある。犯人に命じられた行員である人質が建物の自動シャッターのボタンを押し、完全にし閉まる寸でのところで機転を効かせた警察官が放置自転車を投げ込み隙間を確保することできた。だから外部からはその間からしか中の様子を伺えないといったもどかしい状態が続いた。

犯人と警察のやり取りは電話が使われ、またその電話で友達にも連絡を取りテレビ中継によって有名人となった自分を誇示していたりもした。

 

梅川の経歴はマスコミ報道により知られることになったが、幼少期に両親が離婚し15歳の時には殺人を犯し少年院に収容されている。当時判決を下した裁判官は更正の見込みはないが少年法の保護によりやむをえないといった旨の言葉を残している。

確かに先天的に犯罪的気質をもった人間はいるのだろう、そしてそれは医学的な解決に任せるしかない。

しかし、多くは環境によるものではないだろうか。少年法が話題になると梅川同様に引用されるモデルがいる。ロス疑惑三浦知良で、彼も梅川ににた経歴を歩んでいる。彼は刑務所に長期間服役し出所して束の間また逮捕されている。それも本屋での万引きという非常につまらない罪でだ、なぜ頭のよいはずの三浦がそんな愚かなことをするのだろうか。

 

新聞報道によると、お金は持っていたが並ぶのが面倒でレジを通さず店外に出たということだ。

「面倒くさかったから」というのは、悪魔的な言葉だと思う。もし幼少期の頃から周囲の光景がそんなふうだったら、例えば駄菓子屋で店主が家の奥で用を足しており呼んでも出てこず、面倒で商品をそのまま拝借するというのが友達の間で横行していたら。朱に交われば、というが自分が染まらずにおれるかどうかは疑問である。