介護職員の実態


高齢者施設介護士の男逮捕 入所者口座から850万円引き出したか - YouTube

 

コロナ禍では、いわゆるエッセンシャルワーカーがもてはやされた。

通常下でも、そういった仕事に対して世間(ホワイトカラー)というのはなにがしか奥歯にものが挟まったかのような口ぶりで持ち上げる傾向がある。

 

その背後にあるのは原罪意識とも言えるのではないであろうか。自分たちがオフィスで一見華やかな環境で働いているのに、彼ら彼女らの現場仕事は決して高くもない給料で汗まみれになって働いていると。

 

そして、いつしか人間性まで賛美する。生真面目、無垢なる者として仰ぎ見てしまう事すらある。

 

しかし、それこそ職業差別の裏返しなのだ。

両方の世界を垣間見た自分としては、全くの幻想といってよいだろう。

 

特に介護業界はその傾向が顕著だ。

子供の時から、あるいは身内の不幸があって介護に関心を持ってというのが世間的な期待像であろう。

というのは人間誰もが最終的には人の手を借りて生きざるを得ないという時が来るのだから。

 

しかしながら、本当の意味で使命感を持っているのは数パーセントのマイノリティーだろう。

自分が見た範囲でのマジョリティー像はこうだ。年齢的、経歴的、世間が求める能力的にも働き場がなく、かといってビルメンテンスのような仕事を就くにはプライドが許さない。

取り敢えず、世間体がましな介護業界に入ってきたという感じなのだ。実は昔から興味があったとも自分自身もごまかせるし、だ。

 

個人的な経験では離婚した女性や、結婚願望は抱いてはいるが縁がない女性が多かった。

彼女たちに共通するのは強烈な劣等感であった。言うまでもなくそれは優越感の裏返しでもある。

それゆえ、この種の人間達が絶対的弱者を相手とする介護という職業を選んだのは当然の成り行きともいえよう。

だから職場内でのイジメが耐えない。餌食になりやすいのは不慣れな新人、特にこの業界に対して志を抱えた生真面目を信条としているような人達である。

何らかの言いがかりをつけて人民裁判的なことをやり吊るし上げる。そのお祭りが退屈な日常や退屈な自分の内面を埋め合わせる唯一の慰みになってしまうのだ。

いじめられた側はしばらく耐えるも、辞める。そして、いじめた側は次の生贄を切望する。

 

こういった業界の内実を知っている自分からすれば介護職員が利用者の金銭に手を付けたや、訪問介護者が認知症の老人を籠絡して自分が相続人になる等、また暴力沙汰などのニュースを聞いても何ら不思議には感じないのだ。