ザ・ノンフィクション 2019年9月22日(日)放送 半グレをつくった男 ~償いの日々…そして結婚~ - フジテレビ


ザ・ノンフィクション 2019年9月22日(日)放送 半グレをつくった男 ~償いの日々…そして結婚~ - フジテレビ

あの凶悪で鳴らす関東連合と向こうを張ったのが残留孤児のルーツを持つ「怒羅権」だ。

その創始者の更正の道のりが番組で取り上げられた。

 

当人の風貌や語り口を見て誰も過去の素行を想像できないはずだ。出自は中国の上流家庭というのが紹介されていたがそちらのほうが頷けるものだ。

 

芸能人などで自分を大きく見せたい人間は、不良上がりであることを吹かし饒舌に誇張した過去の悪行を話すものであるが、汪楠にはそのような軽さは感じられず。自分の過去の懺悔を控えめにそして後悔を交えつつ語る。それが逆に真実性を高めるのだ。

例えば自分の財布を盗んだ暴力団組員のイザコザから相手の腕を切り落として、怒りがエスカレートして首を切り落とそうとしたが硬くて無理だったという。それをインテリ風の男が話しているのだから、いかにして更生したのか俄然興味をもった。

 

汪楠の更生のきっかけは裁判官が、自分の愛読書の「阿Q正伝」を取り上げ自分にシンパシーを寄せてくれたことだという。それから彼は服役中に3000冊もの本を読み込んだ。確かにそれだけ本を読んだだけあってインタヴュアーより語彙力も高く語り口も知的だ。14歳に来日したというから脳科学的には母国語レベルの言語能力を身につけるのは難しいのであるから、読書の力というのは本当に大きなものなのだろう。

 

刑務所は、学校に例えられる。それは2つの意味があると思う。ホリエモンが言っていたが覚せい剤で捕まった人間は、刑務所の中で売人の情報交換をしているようだ。はからずも犯罪者のサロンと化し、また少年院などではどこどこを出たことで箔がつくエリート意識すら生まれさえしている。

一方で読書をするにはこれほど良い環境はないものだ。規則正しく読書ぐらいしか娯楽がない中で物理的な自由がない中で想像力を壁を超えて自由に羽ばたかせる、一蘭というラメーン屋の味集中ブースかのようだ。

 

汪楠は出所したばかりの行く当てのない人間の世話もしているのだが、その善意が仇となってトラブルとなる。彼は囚人に本を貸し出すボランテイア活動をしているのだが自転車操業で、それを見かねた婚約者が活動団体に寄付してくれた。しかし、引き受けた人間がそのお金を持ち逃げしてしまうのだ。

その男は見つかり汪楠がそれを歯を食いしばりながら赦す場面が、今回の番組のクライマックスとなりかつて凶暴だった人間の更生を示唆するものであった。それを否定するつもりはない。

 

しかし、違った見方もしてしまう。よく不幸、不運が続いた人の話を聞くと同情を寄せながらも、傍目八目もしれないが避けられたこともあるのではと感じることがある。また、どこかで人間というのはその境遇に酔いしれ不幸を避けるということを辞めて、引き寄せることすらしまうのではないかと勘ぐることもある

今回の汪楠にも同様のことを感じてしまうのだ。かつて自分の財布を盗まれ相手の腕を切り落とし、そして今回もお金を盗まれ怒りにうち震える。前回の事に関しての詳細はわからないが、今回はなぜそんな無防備なことをするのかと感じた。信用と言えば聞こえはいいが出所したばかりの人間の部屋に大金を置いておく、それは脱水症状の人間の前にペットボトルを見せつけるかのようなものではないのか。

ただこのようなトラブルがなかったら番組として「面白み」に欠けていたかもしれない。退屈さを倦んだ時、人間というのはトラブルを引き寄せてしまうものだと考える。