効率と生産性


手取り13万円で耐え続けた29歳の過酷体験 | ボクらは「貧困強制社会」を生きている | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

仕事上のミスを労働者に弁済させる。残業代がでない。有給を取らせない。このようなことがまかり通るわけがないと思う人は、ある一定以上の階層にいる方だと思う。

 

低層とも言える会社は効率という言葉がバカの一つ覚えのように支配していたりする。現場作業は退屈だ。そこで、ハレを求めて苛めという刺激を求める。引き合いに出されるのが絶対正義の効率という言葉だ。現場を統括するマネジメントする側は、その種の負の連鎖を傍観している。あるいはうっすらと、その状況を望んでいたりする。なぜならば、自分達監督者側に矛先が向かわなくてすむ、あるいは事態を収拾することにいかにも仕事をやったといわんばかりの達成感を感じてすらいる。いうまでもないが、この一連の流れには全くというほど生産性がない。

 

不思議に感じるのは、会社内にも新聞があるのだから当然昨今の労働問題は見聞きしているはず。なのに労基署に駆け込まれたらどうなるかという危機感が見えないのだ。そして人の出入りが激しいのもそれに費やされる時間、金銭のコストを考えたことがないのだろうか。そういえば、エクセルで10分程度で終わる作業を半日ぐらいかけている。それこそ効率性はどこに行ったのか。

 

結論としては、全く生産性のないことが、現場仕事よりちょっと上のランクという自尊心の為だけにひたすら続けられるだけに過ぎないのだ。挙げ句の果てに、ITを駆使して本当の意味での効率化された海外企業に発注先を取られて会社の存亡が危ぶまれるとか。本当に虚無感しか残らない。