アウトロー系youtuberを見ての思い(2)所沢のタイソン

所沢のタイソンこと久保氏のyoutube動画のオープニングでは何枚かの写真が挿入されているが、その中で見覚えのある顔があった。それはかつて弟分として紹介されいたY氏だったので面食らった。

かくいうこのY氏、街録チャンネルで自身がオレオレ詐欺に関与していたことを臆面もなく話し、動画自体の低評価やコメント欄で総スカンを招いた人物だ。

 

久保氏自身も街録チャンネルのインタヴューに出演経験があり、それをきっかけに世に名前を知られることとなったと言って良い。

youtu.be

その中で一月で3000万を〇〇で稼いだと述べているが、それがオレオレ詐欺ではないかと疑惑を持たれている。

本人はその疑惑を否定はしているものの歯切れが悪い、そういった事情があるゆえY氏と未だに親交があることに目が点になった。

 

街録以外ではkei氏の動画チャンネル出演やその口添えで本を出版したことも久保氏の知名度を上げるさらなる要因となった。

帯でkei氏のこんな推薦文がある。

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「自分と同じ時代に生まれていたら彼も生きやすかっただろう。今の時代を生きるには不器用過ぎるほど心が綺麗で真っ直ぐな男だ 」

 

 

立ち読みした限りでは街録チャンネルや久保氏が自分のチャンネルで語ったことと重複する部分が多い。喧嘩の履歴、幼少時から傷害事件を起こす、小学校時に担任の先生を休職に追い込む、おやじ狩り・・・

少なくとも帯文の「心が綺麗で真っ直ぐな男」に該当する箇所などは、本の中に見つかりようがない悪行三昧といって良いだろう。

 

アメリカにはサムの息子法という犯罪被害者の救済措置がある。デジタル大辞泉を引用すると以下の通りである。

「犯罪の加害者が、手記を出版するなど、自らの犯罪を商業的に利用して得た利益を差し押さえ、被害者や遺族の賠償にあてることを義務づけた法律。」

 

酒鬼薔薇事件の犯人が手記を出版した際にこの制度が取り上げられたが、昨今のアウトロー系youtuberの人気の高まりを見るにつけ思い出さずにはいられない。

中にはそれを懸念してか、そのカテゴリーには入れられたくないという者もいるが、では自分がそれ以外で注目を浴びるコンテンツと言えるものがあったのだろうか。

 

彼らにとってはちょっとした若気の至りで済まされることも、一生モノの傷を負わされた人間も少なくない。

にもかかわらず、かつての加害者は今現在でも飯の種にしてあわよくば書籍まで出版しサイン会まで開いている。そしてそこで得た知名度を足がかりにしてアパレルまで販売して実業家気取りなのだから出来の悪いSF小説のようにも思えてしまう。

 

常々感じているのだが、なぜ彼らは人に講釈を垂れたがるのだろう。男・漢としての生き方や人の道、倫理観等を説きたがるのだ。

動画では人生相談のコーナーまであるのだから開いた口が塞がらない。どれだけ厚顔で自己懐疑というものがないのだろう。

 

しかも、似たもの同士が互いを称え合っているのだ。あいつは漢だ、本物だという具合に。

そういうわけだから、そのコミュニティに属している以上、人間的な成長は望めないと言ってよいだろう。中学生程度から進歩していないと言ったら中学生に失礼かもしれいないと思えるほどに。

 

誰もが成長をするタイミングというものがあるとすれば、それは他人から責任を求められることだろう。

久保氏はおやじ狩りをしていた時、向かってきそうな相手も案外自分たちに素直に従うと言っていたが当たり前のことでは無いだろうか。社会的な立場のある人間はそうせざるを得ない事情があるのだ。そこで歯向かって明日の仕事はどうなるのだ。

 

彼らは責任ある社会的立場から逃げ続けて、その事実を珍妙な理屈で頑なに否定してきた。その際に一般人と言葉を使って自分がなにか特別な存在でもあるかのように騙るのがやり切れない。

喧嘩三昧、刑務所を行ったり来たり、仲間との遊び等のエピソードから、一体いつ働いているのだろうと不思議であると同時に所帯じみたところが全く無いことから今まで独身なのかと思いきや、そうではない。

 

若い頃結婚して子供も年頃まで育っているというケースが少なくないのだ。

一般的に考えてそれなりに稼ぎがあったとしても、自分の生活費を賄い養育費を送り続けることを両立させることは簡単ではない。

しかし自分のまいた種なのだから生涯その負担を負い続け、爪を灯すような生活を送ることは甘受しなければならないはずだ。

そしてその実情を知っている周囲は、それをやりきった人間を発端を横に置いて責任ある態度として評価するものだ。

 

彼らはそれが出来た男なのだろうか、それとも単にケツをまくって法的、社会的責任を無視してきた男・漢の風上にも置けない人間なのか。

著書や動画での言動、行動を見ると徐々に明らかになってくる。

問うに落ちず語るに落ちる。

彼らが大好きな「捲れる」とは当にこのことだろう。